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2010年8月31日エッセイ
温故知新の新しい可能性
2010年8月28日格言
Ede, bibe, lude, post mortem nulla voluptas. 食べろ、飲め、遊べ、死後に快楽はなし
2010年8月28日その他
ラテン語の夕べの資料
2010年8月25日格言
Non scholae sed vitae discimus. 学校のためでなく人生のために学ぶ
2010年8月24日出版物
祝「ラテン語名句小辞典」出版

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温故知新の新しい可能性

先日のラテン語の夕べではあえて「翻訳することの大事さ」を述べました。語学の習得という目的に絞って言えば、カエサルやキケローを暗唱するなどして音の響きも何もかも自分のものにできたらよいのでしょう。

一方、私たちが普通にラテン語を学ぶ場合、一般的なのは、文法事項を学びながら、ラテン語→日本語、あるいはその逆の日本語→ラテン語の訓練を繰り返すことです。それはそれで大事なことをやっているのだ、というのが話の一つの趣旨でもありました。

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2010年8月31日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:エッセイ

Ede, bibe, lude, post mortem nulla voluptas. 食べろ、飲め、遊べ、死後に快楽はなし

この言葉は、景気のいいフレーズですね。edo は「食べる」という意味のラテン語で ede はその命令法です。英語に edible (食べられる)という言葉がありますが、その語源です。

カトゥルスがこのモチーフを使って有名な詩を残しています。いわく、「ともに生き、ともに愛し合おう」と。

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2010年8月28日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:格言

ラテン語の夕べの資料

今日お配りした資料(pdfファイル)はこちらです。

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2010年8月28日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:その他

Non scholae sed vitae discimus. 学校のためでなく人生のために学ぶ

表題の形で知られますが、元になったのはセネカの言葉で、表現は Non vitae sed scholae discimus. つまり、「われわれは人生のためでなく学派のために学んでいる」となっています。もちろん、それではいけないという意味です。

scholae は「学校のため」と訳してもよいでしょう。綴りでおわかりのように、schola は英語の school の語源です。元はギリシア語のスコーレー(閑暇)に由来します。ちなみにラテン語でも「暇」を意味する ludus は「学校」のほか、文学作品、楽器の演奏、芝居、演技、など、人間の文化的活動を幅広く意味しました。

さて、表題の言葉の趣旨は、教師や学校、特定の学派といった自分以外の他人のためにではなく、何よりも自分の人生のために学ぶべきである、ということです。動詞の discimus (われわれは学ぶ)を省略しても立派に格言として通用します。世界を見渡すと、この動詞抜きの形で標語に掲げる学校がいくつもあります。

なお、discimus を使った格言としては、Docendo discimus. (われわれは教えることによって学ぶ)が有名です。

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2010年8月25日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:格言

祝「ラテン語名句小辞典」出版

以前紹介したタイトルの本が昨日届きました。美しい装丁、しっかりとした紙質と鮮明な印字。説明も正確無比。内容的に、まさにこういう本が欲しかったという多くのラテン語愛好家の期待に応えるものです。カナ表記に加え、ちょっとした文法や語彙の説明も添えてあり、著者もはしがきで書いておられるとおり、ラテン語の文法を一通り学んだ人にとっての「読本」的な意義も持ち合わせていると感じました。私もすでに全体の半分まで目を通し、自分の知識の抜けを確認しているところです。

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2010年8月24日 | コメント/トラックバック(0) |

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